どうにも捉えどころの無い映画という感想だったんですが、どうやら神話「ニーベルングの指輪」とか人魚姫のストーリや設定を知っていると理解できるらしい。
後半にでてくるトンネルが凄く大事。これは、産道の比喩表現ですね。つまり、異界の入り口。
さりげなく、宗介は、「前に来た事がある」、と、ポツリと言ってますが、まさしく1度は通ったはずで、なかなかシュールですね。
で、産道を逆に辿って子宮に通じる。このトンネルを通ることで、ポニョは進化をさかのぼるように、ヒトから半漁人、魚への変化して、意識を失う。逆行しているわけだから、生から死の世界に踏み込んでいるとも言えますね。
その子宮にあたる半透明のドームは奇しくも、死と生を暗示するかのように隣同士に建つ老人介護施設と保育園が水没している場所にあるわけです。
水中に没したドームの中も、実は水で満たされていました。まさしく、羊水に満たされている状態というわけで、怖いぐらいに練りこまれていますね。
歩けない老婆達が飛び跳ねているってのは、すでに逝っているからと考えると納得できる。
取り残された、車椅子は、まさにそれの暗示なのかもしれません。リサも当然、お亡くなりになってるんでしょう。(ただ、子宮の中に居るってことは、藤本かポニョママに助けられているのかもしれません)
そういえば、途中、赤ん坊を抱いた婦人の旦那から、ロウソクを受け取った宗介とポニョ。結局、そのロウソクは灯すことは叶わなかった。ロウソクの火とは生命の火と考えると良いのかもしれない。そう彼らは舟に乗ってましたね。まるで三途の川を渡っているかのようですね。恐らく、あの一家は亡くなられているか、もうじき亡くなる運命なんでしょう。ポニョが赤ん坊にサンドイッチをあげようとし、代わりに母親が食べていましたが、表情が暗いんですね。まるで死相が現れているようでした。この映画って、どんなに苦しい状況でも、意外と皆が、前向きで明るいんですが、あの母親だけは例外なんで、劇場で見ていた時は違和感を感じていたんですが、なるほど、こういうことかと。
あの一家は他の舟の人達と合流し、水没を免れたホテルに向かいましたが、その運命は同じなんでしょう。まるで、ホテルが天国かなにかを比喩しているようです。
一方、宗介とポニョが用意していたロウソクは勢い良く燃えていましたねが、トンネルの前で消えました。そのトンネルを抜けることで、生まれる前の世界に戻るわけで、死とまでは言わないまでも、生を受ける前の状態に戻るという意味で、ロウソクが消える表現は繋がっているんだと思います。
一度、死を受け入れることが、二人の試練だったんでしょう。
そして、ポニョが人間になるための儀式は、人魚姫ですね。宗介がポニョのことを拒むと、泡と化してしまう・・・そんて感じでしょうか。
最後のハッピーエンドは・・・・解釈の仕方にもよるけど、人類は既に滅亡しているのかもなぁ
宗介とポニョの二人っきりの世界。人類絶滅後の世界を二人が乗り越えていかなければならない。
そう考えると、冒頭の汚れた海も、再び浄化され・・・・というわけで、様々なネガティブ要素が振られつつも問題定義されなかったことも納得できる。文字通り、浄化され、純真な二人が、この世界を再スタートさせる・・・・
という童話だと思うと、よくできてますが・・・・
前提知識なしに見ると、さっぱり分からない映画です。
というか、中途半端すぎて無責任ですよ、宮崎さん~って言いたい。
あと、こんな怖い話を、「ぽ~にょぽにょぽにょ」なんて歌で惑わして子供に見せるなんて、なんて罪なんでしょ(笑)
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